昭和52年卒(74回生)の情報を 表示します。        最終更新日 : 2023/01/22 by AM   

 去年(令和3年)は、3年前の還暦同期会でお約束した74期同期会の開催予定年でしたが、コロナ禍により開催できませんでした。
今年(令和4年)に入ってからもオミクロン株による第6波が襲来し、飲み会すらできない状態が続いていました。
ようやく「まん防」の解除を待っていたかのように、3月27日に小グループの飲み会を川崎溝の口の居酒屋で開きました。
参加者は、私を含め、厚芝君、石井君、中島君、滝本君、加茂川君の6名で3〜5年ぶりの再会となりました。
 全員、慶応義塾大学か国立大卒で、東証一部の会社員や会社員経験者です。
ここで、後輩達の参考になる一命題を問うてみました。
 「東大卒の学歴にはSuperiorityがあるか?」
2人の元東大生の答えは同じで、「官僚になるなら少しはあるかもしれないが、会社組織においては全くない、 出世には他の要素が関係する」「東大の原子力工学を出て証券会社に就職した奴もいたぐらいだから、 世間の人が思っているほどブランドカがあるわけではない」ただ、日本の経済力が強かった時代に 皆第一線で活躍してバブルも経験したわけですから、自分達はよい時代を生きたのかもしれないと 言うことでみんなの意見は一致しました。
話題といえば、病気の話、保険の話、そして時節柄、mainは、年金の話です。
 私達74期は、年金が60歳から65歳に繰り下げられる移行期にあたり、63歳から満額受給可能となります。
3月31日にきっぱりと退職して完全年金生活に入る人、60歳で退職して雇用保険を貰って年金が減額されないように 軽い仕事をする人、給料は減額されたが65歳までは働くという人、65歳を過ぎてからも1年ごとの雇用延長で 体がもつまで働く予定の人と千差万別です。
 ただ、さすが全員理系だけあって、よく週刊誌に出ている何歳から受給すれば得だという記事は嘘だと みんな見抜いていました。なぜなら自分が死ぬ日がわからないからです。
昔話と雑談で楽しい3時間は、あっという間にすぎ、「体に気をつけてまた会おうぜ」の言葉で解散となりました。

74回 浦上信也   
(淡交会報89号より転載)

 C組は、純粋理系志望者と医歯薬生物志望者からなる混成理系男女クラスでした。
 担任は霜田先生で、両高祭では単独で青組を編成したので、結東力は抜群でした。
 私は生物選択者でしたので、先生の授業はなかったのですが、東大に行った中島一平君の話によると、 霜田先生は女性に優しかったとのことです。
 物理の問題で、女性を指名してできなかったら、丁寧に説明してくれたとのことです。逆に、男性は できなかったらそれで終わりです。
どこかの国のオリンピック委員と違って、当時の両国にはLady firstの精神が息づいていました。
 在学中に、女性陣は先生の自宅にお邪魔して、料理をごちそうになったとのことです。
 それと先生は、お酒が好きで、卒後のクラス会で、先生をお呼びすると必ず来てくれました。
このおかげて、C組は、クラス会をずっと続けられ、全員の消息が判ります。
 7年前に先生の自宅を訪問する機会がありました。奥様から、生前の話を聞くことが出来、 家にしょっちゅう教え子が遊びに来て、よく酒を飲んだとのことでした。
また、自分たち生徒には判らなかった先生の別側面を聞くことが出来ました。
まだ学生運動の火が残っていた時代です。
 校長先生からの絶大な信頼が先生にはあり、他の先生達との調整役として手腕を発揮していたとのことです。
それゆえに、担任を持った機会は非常に少なかったらしく、その少ない機会のひとつが、3年C組です。  ここで卒業アルバムの寄せ書きの先生の言葉から、達筆で、「熱と力」。さすが、物理の先生ですね。
☆ ☆ 霜田先生の快気祝い (30年前、銀座お多幸にて) ☆ ☆

≪ ☆ 霜田先生の快気祝い ☆ ≫
 (30年前、銀座お多幸にて) 

 前述したように、C組には、東大を頂点とする純粋理系グループと医業志望グループがありました。
 私は前者に属し、2年続けて東大を落ちました。後者の筆頭が矢野聡君で、脳神経外科医になると言っていました。
(♂♀∞)と黒板に書くオープニングで始まる若き脳外科医が主役の「ベンケーシー」という米国のテレビドラマがありました。
矢野君はこれを見ていたのかもしれません。
 脳外科が何だかわからなかった葛飾出身の田舎者の私にとって、矢野聡君は都会派のカッコイイ存在でした。
私はその後、よりRareな神経放射線医として、約30年脳外科医と苦楽を共にする運命にあるとは、この時、 夢にも思いませんでした。
 矢野君は、慶応ボーイになり、リクルートに就職しましたが、飽き足らず、ソフトウエアの会社を起業し 社長になりました。
クラス会には毎回出席し、「ガッハッハ!」と大きな声で笑い、常にみんなの輪の中心でした。
そして、その元気な声を聴くことができなくなるとは、不幸なことに、2年前に癌を患い、今年(令和3年)1月28日に 短い生涯を終えました。
この書面を借りて、ご冥福を心からお祈り申し上げます。   合掌

浦上 信也 74回   
(淡交会報86号より転載)



【 皆様方のWEB上の情報等と接続します ! 】
    

  ☆ 同期の会のお知らせ (7)

  ☆ 皆様方のWEBLOG(0)

  ☆ 皆様の写真ページ (0)

  ☆ 友人の情報(0)

  ☆ 旅行・紀行文 (0)

  ☆ 個展、催し、宣伝PR、等(0)

  ☆ 62回生のページ(会社・事務所など)(0)




  
 
☆ 同期会のお知らせ ( 同期会、クラス会、グループ会合 等を紹介 )

  ・令和04年12月20日 ミニプチ3Cクラス会(淡交会報89号より転載)
  ・令和03年05月20日 霜田先生と3年C組(淡交会報86号より転載)
  ・令和02年12月20日 盟友小口裕二君の死を悼む(淡交会報85号より転載)
  ・平成30年10月27日 還暦同期会 盛大に開催
  ・平成30年10月27日 還暦アンケート報告
  ・平成29年07月08日 卒業40周年記念 拡大3-Cクラス会開催報告
  ・平成29年05月20日 還暦同期会に向けて(淡交会報78号より転載)
  ・
  ・
  ・

 
☆ 皆様方のWEBLOG ( 近況などが早わかり )

  ・
  ・

 
☆ 皆様方の写真ページ紹介

  ・
  ・
  ・
  ・

 
☆ 友人の最新情報
  ・
  ・

☆ 旅行・紀行文
  ・
  ・

☆ 個展、催し、宣伝PR、等

  ・
  ・
  ・
  ・


☆ 74回生のページ(会社・事務所など)
◎ 昭和52年卒 (74回) 【 個人のページ 】  ( 0 件)
  ・
  ・