作成日:2021/07/28 by AM   

 C組は、純粋理系志望者と医歯薬生物志望者からなる混成理系男女クラスでした。
 担任は霜田先生で、両高祭では単独で青組を編成したので、結東力は抜群でした。
 私は生物選択者でしたので、先生の授業はなかったのですが、東大に行った中島一平君の話によると、 霜田先生は女性に優しかったとのことです。
 物理の問題で、女性を指名してできなかったら、丁寧に説明してくれたとのことです。逆に、男性は できなかったらそれで終わりです。
どこかの国のオリンピック委員と違って、当時の両国にはLady firstの精神が息づいていました。
 在学中に、女性陣は先生の自宅にお邪魔して、料理をごちそうになったとのことです。
 それと先生は、お酒が好きで、卒後のクラス会で、先生をお呼びすると必ず来てくれました。
このおかげて、C組は、クラス会をずっと続けられ、全員の消息が判ります。
 7年前に先生の自宅を訪問する機会がありました。奥様から、生前の話を聞くことが出来、 家にしょっちゅう教え子が遊びに来て、よく酒を飲んだとのことでした。
また、自分たち生徒には判らなかった先生の別側面を聞くことが出来ました。
まだ学生運動の火が残っていた時代です。
 校長先生からの絶大な信頼が先生にはあり、他の先生達との調整役として手腕を発揮していたとのことです。
それゆえに、担任を持った機会は非常に少なかったらしく、その少ない機会のひとつが、3年C組です。  ここで卒業アルバムの寄せ書きの先生の言葉から、達筆で、「熱と力」。さすが、物理の先生ですね。
☆ ☆ 霜田先生の快気祝い (30年前、銀座お多幸にて) ☆ ☆

≪ ☆ 霜田先生の快気祝い ☆ ≫
 (30年前、銀座お多幸にて) 

 前述したように、C組には、東大を頂点とする純粋理系グループと医業志望グループがありました。
 私は前者に属し、2年続けて東大を落ちました。後者の筆頭が矢野聡君で、脳神経外科医になると言っていました。
(♂♀∞)と黒板に書くオープニングで始まる若き脳外科医が主役の「ベンケーシー」という米国のテレビドラマがありました。
矢野君はこれを見ていたのかもしれません。
 脳外科が何だかわからなかった葛飾出身の田舎者の私にとって、矢野聡君は都会派のカッコイイ存在でした。
私はその後、よりRareな神経放射線医として、約30年脳外科医と苦楽を共にする運命にあるとは、この時、 夢にも思いませんでした。
 矢野君は、慶応ボーイになり、リクルートに就職しましたが、飽き足らず、ソフトウエアの会社を起業し 社長になりました。
クラス会には毎回出席し、「ガッハッハ!」と大きな声で笑い、常にみんなの輪の中心でした。
そして、その元気な声を聴くことができなくなるとは、不幸なことに、2年前に癌を患い、今年(令和3年)1月28日に 短い生涯を終えました。
この書面を借りて、ご冥福を心からお祈り申し上げます。   合掌

浦上 信也 74回   
(淡交会報86号より転載)

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