■ 淡 交 会 沿 革
1. 淡 交 会 歴 代 会 長
歴 代
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会 長 氏 名
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勤 務 先 役 職
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在 職 期 間
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初
代
会
長
/
在
職
校
長
が
兼
務
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八 田 三 喜 初代校長
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府 立 三 中
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明治34年 4月 〜 大正 8年 4月
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広 瀬 雄 2代校長
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府 立 三 中
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大正 8年 4月 〜 昭和 5年 4月
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秋 山 四 麿 3代校長
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府 立 三 中
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昭和 5年 4月 〜 昭和20年11月
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鹿 谷 義 一 4代校長
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都 立 三 中
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昭和20年12月 〜 昭和21年11月
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小 倉 隆 5代校長
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都 立 三 中
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昭和22年 3月 〜 昭和30年 9月
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都立第三新制高校
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都 立 両 国 高 校
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星 一 雄 6代校長
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都 立 両 国 高 校
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昭和30年10月 〜 昭和31年 3月
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福 岡 高 7代校長
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都 立 両 国 高 校
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昭和31年 3月 〜 昭和36年 3月
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清 水 安 麿 8代校長
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都 立 両 国 高 校
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昭和36年 4月 〜 昭和36年10月
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第 2 代
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川 村 音次郎 第 5回卒
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キリンビール 社 長
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昭和36年10月 〜 昭和48年 5月
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第 3 代
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中 鉢 常 正 第10回卒
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日本 ゼオン 社 長
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昭和48年 6月 〜 昭和52年 5月
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第 4 代
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上 田 英 雄 第24回卒
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東 大 病 院 院 長
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昭和52年 6月 〜 昭和62年 5月
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第 5 代
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坪 井 東 第30回卒
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三井 不動産 会 長
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昭和62年 6月 〜 平成 8年 6月
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代 行
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長 谷 川 剛 第34回卒
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長谷川萬治商店 社長
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平成 8年 7月 〜 平成 9年 5月
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海 渡 五 郎 第43回卒
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エトワール海渡 社長
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第 6 代
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海 渡 五 郎 第43回卒
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エトワール海渡 社長
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平成 9年 6月 〜 平成15年 6月
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第 7 代
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小 泉 宗 孝 第52回卒
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日本サービスセンター 社長
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平成15年 6月 〜 平成22年 6月
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第 8 代
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郷 通 子 第55回卒
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前 お茶の水女子大学 学長
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平成22年 7月 〜 平成25年 6月
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第 9 代
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寺 澤 捷 年 第60回卒
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前 千葉大学大学院 医学研究院教授
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平成25年 6月 〜
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初代校長 八田 三喜 氏 |
2. 淡 交 会 沿 革
明治38年 4月 |
第2回卒業生が出るに及んで 淡交会 発足。
明治40年 |
会員名簿(第1回)発行。
大正10年11月 |
創立20周年を記念して淡交会より、生徒図書館兼集会所として記念館を学校
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(東京府)に寄付す
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創立20周年記念式挙行に際し、勤続15年以上8名の先生に記念品を贈呈。
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関東大震災後の バラック校舎
昭和 2年11月 |
関東大震災後、校舎新築落成及び 創立25周年記念式典に際し、父兄会と淡交会
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合同主催の祝賀会を開催。
22年 5月 |
校庭削減問題・本校移転問題が起こり、学校・父兄会と協力して反対運動を開始 する。
23年 6月 |
校庭問題、本校移転問題は 無事落着。
25年 5月 |
創立50周年記念式典挙行に際し、協賛会主催の祝賀会開催。
32年11月 |
「淡交会報」第1号発行。
35年 7月 |
創立60周年記念事業として竣工した「淡交ホール」を学校(東京都)に寄付。
36年10月 |
淡交会総会において会則の改正。即ち 学校長は名誉会長とする。 会長と副会長
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(2名中1名を)淡交会員から選出する。
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会長(第2代)に川村 音次郎氏(5回卒)が選出される。
42年 6月 |
淡交会総会並びに懇親会を 新宿の東京社会保険会館で開催。 出席者 約350名。
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会費を改定することになり、年度別負担金は 今まで各期毎に 3,000円であったのを、
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42年度より 5,000円に増額することになった。
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尚、本年度より 総会には会員の講演を組み入れることになり、第1回の本年は、
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早大文学部教授 滝口 宏氏(25回卒)に お願いした。
44年 6月 |
淡交会総会並びに懇親会を 東京厚生年金会館で行う。 出席者 約300名。
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講演「風土と国民性」深代 淳郎氏(44回卒,朝日新聞論説委員)
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昭和45年は 創立70周年に相当するので、記念事業計画が進められていたが、
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都教育委員会の「私費負担軽減方針」の発表があり、「70年史の発行」
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「淡交フィルハーモニー管弦楽団の演奏会」のみ 行うことになった。
45年10月 |
創立70周年記念事業として「芸術鑑賞会」と名付け 「淡交フィルハーモニー
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管弦楽団の演奏会」と 中川 雅史氏(28回卒、中川防蝕工業KK社長)の
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「海洋開発の概要と現状」と 題する講演があった。
48年 6月 |
淡交会総会並びに懇親会を ロッテ会館で行う。 出席者 約200名。
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会則の一部改正。 川村会長が ご逝去になり、中鉢 常正氏(10回卒)が会長に
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(3代目)に就任。
52年 6月 |
淡交会総会並びに懇親会を 東京厚生年金会館で行う。 出席者 約150名。
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講演「芥川龍之介と菊池寛」 沢村 三木男氏(23回卒、文芸春秋社社長)
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役員改選、会長(4代目)上田 英雄氏(24回卒、中央鉄道病院長)
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旧 校 舎 正 面
旧 校 舎 正 面
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56年 6月 |
淡交会総会並びに懇親会を 厚生年金会館で。 出席者 約400名。
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創立80周年記念事業決定。 資料室が設置される。
56年10月 |
創立80周年記念式典が 国立教育会館虎ノ門ホールで挙行さる。
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後援会、淡交会合同により祝賀会が 石垣記念ホールで開催さる。
61年 7月 |
「淡交会報」合本を発行。 第1号(昭和32年)から第30号(昭和61年)までを
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合本したもの。 頒布価格1,600円。
62年 6月 |
淡交会総会並びに懇親会が 東京平安閣で開催。 出席者209名。
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淡交会長に坪井 東氏(30回卒、三井不動産会長)が選出さる。
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淡交フィルハーモニー管弦楽団(指揮 鈴木 行一氏69回卒)の演奏。
平成元年 6月 |
淡交フィルハーモニー管弦楽団 創立40周年演奏会が サントリーホールで
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行われる。 聴衆1,500名。
3年 6月 |
淡交会事務局を 江東橋二丁目マンションの 一室に設置。
7年 9月 |
淡交会事務局を 両国四丁目マンションの 一室に移転設置。
8年 7月 |
淡交会会長坪井 東氏(30回卒、三井不動産相談役) 急逝される。
8年 7月 |
常任理事会を開催。 会長後任人事として 副会長長谷川 剛氏・海渡 五郎氏が
9年 6月 |
会長代行として 承認される。
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淡交会総会並びに懇親会を 錦糸町東武ホテルにて開催。 出席者190名。
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淡交会 第6代会長に 海渡 五郎氏(43回卒、エトワール海渡社長)就任。
9年 9月 |
初めて両高祭に 淡交会出展、淡交会のPRを行う。 以後 今日至るまで毎年出展 している。
13年 6月 |
創立百周年記念講演は 冒険家で医師でもある関野 吉晴(64回)による
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《グレートジャーニー「人はどこから来てどこえ行くのか」》 と題し、午前中の
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短縮授業を終えた 在校生と先生及び 淡交会・後援会の希望者1,250名 参加し、
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午後2時より 東京厚生年金会館ホールで行なわれた。
13年 6月 |
創立百周年記念式典は、午後1時より「すみだトリフォニーホール」 を 会場として 行われた。
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全校生徒、教職員、淡交会員のほか 東京都教育長、元校長、東京都議会議員、
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