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大象会は、さる6月2日12時から、母校近くの錦糸町東武ホテルレバント東京の24階「簾」にて、スカイツリーを真正面に、
その左に浅草観音、上野の山を眺めながら開催されました。
天候に恵まれ益々元気な若年寄り17名「男子14名女子3名」が参加しました。
島崎文男君の司会のもと、福岡の乾杯で懇親、懇談となりました。
各々好みの飲み物と「天空おしゃべり会席」の料理に舌鼓を打つ中、各自の近況報告となり大いに盛り上がりました。
その中の話題からエピソードを二つ紹介します。
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私達は小学校に入学、卒業せず中学に進んだ、日本唯一の学年「昭和9年4月2日から10年4月1日生まれ」です。
☆昭和16年4月小学校改め国民学校にピカピカの一年生として入学。
☆終戦を経て昭和22年3月国民学校を卒業。
☆昭和22年4月新制中学校に入学。同25年3月卒業。
☆昭和二十五年四月新制の都立両国高校第1回生として入学しました。
当時の三高新聞「昭和25年4月15日付第14号」は次の通り報じています。
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4月7日の入学式で小倉隆校長は、
「希望に燃える諸君の元気なる容姿に接すると、私共も亦青春の熱意に若返り、国家再建のため一大援軍を得た感じを致します。
本当に当学校は諸君青年の精神と肉体とを錬磨するに立派な道場たれかしと願っています」
と私達に望まれました。
又ある先生は、
「新一年生にはみっちり勉強させる。根本からびしびしやって、日曜日位には少しゆっくりさせる程度にね」
といわれ、当時の府立三中の恩師方は、新制中学卒業生の扱いに大変危惧されていたようです。
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私達はこれらの御恩にはたして報いられたやら 合掌
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ついにメンバーの浜名一江さんが曾祖母第1号となりました。
去る五月 娘さんの長男にお子さんが誕生、若いヒイバアチャンは娘さんにせっつかれてお祝いに駆けつけたところ、
両親以外は窓越しのお目見えとなり、残念であったとの事です。
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来年の幹事は、職務適任ということで引き続き島崎文男君と田中信之君、女性から渡辺瞳さんにお願いすることとなりました。
記念撮影は例年どおり田中君が担当し「元気で来年も集まろう」を合言葉に散会しました。
名残惜しい若干名は、引き続き1階喫茶室で語り合いが続いていましたが、全員当日中に無事帰宅しました。
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☆☆ 3E 「大 象 会」 記 念 撮 影 ☆☆
☆☆ 3E「大象会」記念撮影 ☆☆
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福岡 一雄(50回)
(淡交会報第79号より転載) |