今年(令和3年)7月には、両国高校120年を祝い記念誌も発行ということで、既に閉課程となっている定時制の同窓会
「桂友会」にも淡交会を介して記事の依頼がありました。
たまたま筆者は、淡交会40回、38年間両国定時制教師であったため、80年誌(1981年)・100年誌(2001年)に、
大正時代から34年勤続(戦後は初代主事・教頭)の飯久保先生や、当時の教頭先生とご一緒に学校や卒業生の状況を
紹介などさせていただきました。
しかし、100年誌以後のこの20年というと、私も退職久しく、飯久保先生は物故。
両国定時制は、最後の浅草分校での3年間を含めて、2009年閉課程を迎え、終えています。
誰がこの最後の20年を踏まえて、両国定時制からの「中高一貫校設立を祝する」贈り物を
若い後輩たちに書き上げてくれるのだろうか。
僕はその願いと期待は、浅草での小さいが密度の濃い父母地域に根差した、あらたな日常実践と、
さらに、なによりもこの期間に「両国定時制創立80年記念誌」「閉課程記念誌桂友」をまとめてくださった
神林桂一先生たちがいらっしゃるので全く心配していませんでした。
神林さんには、「卒業論文としての自分史〜両国定時制30年の取り組み〜日教組第27次教育研究全国集会第1分科会日本語教育〜」
という論文があります。
この論文は、マスコミにも高く評価され、先に挙げた定時制記念誌にも反映されてはいますが、次期の両国高校年誌にふさわしい
文体と内容で、両国定時制存在の意義と証として、ぜひまとめてと、神林さんにお話もしていました。
ところが、昨年9月初め、フェイスブックで突然「浅草名士の神林桂一氏の死去」を知り、大きな衝撃を受けました。
神林さんは、奥さんのお父様が桂友会員というご縁もあり、終焉期の両国定時制で、大奮闘していただいていただけに
本当に残念でした。
いま、山川桂友会長たちが、卒業生の立場から120年記念誌に神林先生のご遺志を反映すべく、
必死懸命の努力をしてくれております。
85号(令和2年12月発行)で、私の夜学教師への契機の一つとして、学歴両国定時制高卒のみで、
女性初の東京家裁事務局長(1954年卒。宮中園遊会招待)を匿名紹介しました。
彼女は、クラス会・桂友会行事参加の優等生、2009年3月閉課程最終行事「お別れ茶話会」にも出席、
1954年卒岡本幸子として、「ありがとう両国定時制」の一言挨拶を残してくれていましたが、この1月86歳の生涯を終えました。
両国定時制終焉への思いと重ねて、「合掌」です。