作成日 : 2023/01/16 by AM   

 はじめに自己紹介を兼ねて、バスケットボール部OGの思い出を書きます。
 入学後しばらくして、三者面談で学校に来た母を案内して、入ったばかりのバスケットボール部(以下、バスケ部) の練習風景を見て貰おうと、体育館に母を連れて行きました。
ちょうど元気よく、走りながらのパス練習をしている最中でした。
まだその時は、完全に部員になった気持ちになっていなかったのですが、上級生か母に「よろしくお願いしまーす」 と大声で挨拶するもので、母も「こちらこそ、鍛えてやってください。」などと返していました。これで決まりです。
1週間後には、ユニホームも用意されていました。
 毎日の練習は厳しいもので、帰りは暗くなって、足も腰もへとへとな状態でした。基礎的な訓練ができていない 私たち新入生は、専ら、うさぎ跳び、爪先立ってのパス練習、それが終わると、ドリブルとドリブルの突破、 ゴリラのように腰を落としたガードの練習で、シュートなんて昼休みに体育館にかけて行って コッソリするのが精一杯でした。

 男子チームは、他の高校と試合がありましたが、地区では勝っても、東京都では優勝はできません。
そんな時に残念会を開き、いつもはまじめな先輩たちが、愉快な替え歌を歌ったり、 それぞれのスピーチで優しい気持ちを見せてくれたりするので、また明日からも頑張ろうと思ったものでした。 練習がつらかったことや、自分のミスで相手に点を取られたことなどを、スーッと忘れられるのでした。 バスケ部大好きと思える時でした。

☆ ☆ 顧問の宮寺先生と卒業写真 ☆ ☆

≪ ☆ 宮寺先生と卒業写真 ☆ ≫

受験勉強を理由にして、3年になると部活をやめる人が多い中で、私達はやめないで残っていました。
 今では、家庭の中で物を片付ける時など、元バスケの選手らしく天袋に、まとめた袋をシュートして、 「ナイスシュート!」と言っております。

 卒業して数年、また数十年してから、同期会(五五会)が頻繁に開催されました。
教室で習った芭蕉のこと、恩師のことを思い出して、奥の細道を辿る旅行会を続けて来ました。
コロナが落ち着きましたら、私たちの年齢や体力に合ったコースを計画したいと思っております。
 今年(2022年)の10月までにはコロナ禍を克服し、第17回五五会総会(10/26)が、 無事に開催されることを念願して止みません。

 悲しいお知らせがあります。
今年(2022年)5月に円井義弘さん(E組)が、7月に鈴木(出口)万紗子さん(F組)が亡くなられました。
心からご冥福をお祈りします。

井上 冨美子(55回)      
(淡交会報 第89号より 転載)    

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