パーティの出席者リストを見るのは楽しみだ。
あいつ、いまなにをしているのだろう。幸せにやっているかしら、とか。
欠席なら、体の具合は大丈夫だといいがな、とか。悲喜こもごもの予測をまじえながら、ひととき想いをふくらませる。
2019年10月29日、東武ホテルでの「米寿パーティ」もそうだったのだ。いや、違った。
リストの中に「K・S」の名前をみつけたとき、衝撃が走った。なにしろ高校を出て70年、音信不通だった友である。
どうしていた?元気にやっていた?月並みな質問しか、とっさには思い浮かばない。ほんとうは、もっと深い人生をいきてきたんだ、
と思う。70年という年輪の重みは、きりっと自分を刺す痛みに変わった。
当日、開始30分前に彼はやってきた。まさに《朋あり遠方より来たる。また楽しからずや》である。
遠方とは距離だけではあるまい。苦労人の孔子サマのことだ。年代的積み重ねも含め、「遠方」に厚味を加えたに違いない。
逢った瞬間「ちっとも変わっていない」と感じた。昔ながらの温容そのものの紳士だった。「楽し」には重層的な意味を持つ。
深く広い孔子の思考と思いたい。がっちり握手した。年齢を感じさせない握力に、彼のこれまで生きてきた強い生命力が伝わってきた。
80歳を過ぎると、友を喪う哀切さは、耐えられないほど深い。それだけに、K・S君の出現は、明るい奇跡の感すらあった。
次回はおそらく2年後の「卒寿パーティ」になるだろう。「遠来の友」が一人でも増えることを願いつつ、雨まじりの会場を後にした。
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