最終更新日: 2014/12/17 space
 先生の一周忌である  月5日に、小岩の春菜中華一品楼で、祥雲先生を偲ぶ会が開かれた。府立三中最後の卒業生である  期、新制両国高校入学の  期以降、3年毎に担任された  期、  期、  期更に  期まで、   名もの教え子が出席し、先生の思い出を語り合った。
この7月、  期の市原先輩から、各期の教え子が集まり祥雲先生を偲ぶ会を開きたい、  期の上野が企画を立て各期に呼び掛け纏め上げるようにとのお電話が入った。 数名を除き他の期の卒業生とは縁はなく、各期を纏めるのは不安であったが、お嬢様と連絡をし、世話人を選び出すことができた。 



そこで偲ぶ会の日時、会場、会費、各期との連絡、案内文作成・発送まで独断で進め、 かく  月5日の偲ぶ会開催にこぎつけた。
 当日は風雨が強かったが、欠席者は皆無。 偲ぶ会は上野英夫と  期の中部繁が司会進行を担当した。  先生の遺影を前に、世話人代表の  期市原荘六先輩が、旧制5年間最後の生徒として、教員1年生として三中に赴任した、 若き 祥雲先生との長い師弟の交わりに思いを寄せ、偲ぶ会開催の趣旨を説明された。上野英夫が偲ぶ会開催の経過報告を述べたあと、   期の小田原弘造が、先生への追悼として、先生の情愛と数理的な考えの深さと戦後日本の辿った道筋との関わりを語った。
 ご遺族の祥雲弘文さんが謝辞を述べ、  期武部具文により、 先生と 亡き教え子たちに 黙祷を捧げ、  期 志木一允の発声で、祥雲先生の 慰霊に向け献杯し、 会食・懇談に移った。



  高級中華料理に 舌鼓を打ちながら、各期から順繰りに先生の思い出が語られた。 先生が日支事変の さい、伍長として金鵄勲章を頂いた時のこと、浪人時代の補習科を含め5年もお世話を受けた話、年始のご挨拶で小岩のお住まいを訪れた際、教え子たちが一杯で玄関で待だされたなど、思い出の数々が披露された。
 上野英夫が奥様が亡くなる直前のショットから、  期3Aの級友が先生宅を毎年お訪ねした時の先生との写真、亡くなる直前のクラス会の写真など、絵巻にして会場に飾りつけた。
 最後に  期南野昌信の指揮で、旧制中学の校歌と新制両国高校の校歌を、旧制  期と  期以降の新制が一緒に計2回校歌斉唱を行った。
 教え子に慕われ続けた祥雲通弘先生を偲ぶ会は、  期西沢利雄の先生への感謝の言葉で閉会した。
先生のご冥福をお祈り致します。















 
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