(スマホ対応)   最終更新日:  2015/12/06 by HK   

  10月16日に逝去された。 心より哀悼の意を表します。 (享年90歳)

 72期生(昭和50年3月卒)の学年主任を務められた 草深 清 先生が、平成27年10月16日に 逝去された。 享年90(数え)。
 先生の思い出は、同期生また両国高校で 薫陶を受けた全員に、それぞれの心の中に さまざまなかたちで残っているであろうが、管を以て天を窺う との誹りを受けることを充分に心得ながら、小生の憶えているままに 幾つかを記してみたい。
 昭和47年4月に入学した我々72期生は、学校群時代にあって 最も低い倍率の入学試験を体験した新入生であった。 六学区内最高の学校に入学したという喜びの中にある私たちを迎えた先生の姿、威厳の塊のように見えた。


 当時の先生の年齢は、現在の我々より12〜3も下のはずだが、とてもそうとは見えず、今となって当写真を見直しても、やはり充分な威厳を感じることができる。
 ある種のオーラを漂わせる中、授業の冒頭、クラス内を見渡しながら「小・中学校時代に作文や感想文で賞をもらったことのあるものは手を挙げよ」とのお言葉。 ほぼ全員が手を挙げているのを確認し、授業を開始された。 名門校に入学し、他人と比べて優秀な生徒であるという自惚れを、そんなものは全員が持つ小さな経験から来たものだ ということを目前に見せ、天狗になっていた慢心を木っ端微塵に打ち砕く一言だった憶えがある。
 同期会などで同級生と話すとき、草深先生の授業内容、すなわち国語に関しての話題が出ることは殆ど無い。 他の先生については、教科的知識、  例えば古典文法や英語・理科・社会などの科目ではそれぞれの先生に習った内容を幾つか思い出すことが出来るが、草深先生については違う。
 能楽研究の大家であり、高校一年時には能狂言の鑑賞会で説明を受けたことや、生活指導で「御助言」をいただいたことのほか、授業中に発した皮肉を含んだ数々は憶えているが、 先生の授業内容 すなわち学習したはずの現代国語・古典の内容が、思い出せないのである。
 これが、72期生が共通に持つ「思い出」といって良いであろう。
平成26年6月、72期生が集まり、先生の米寿を祝う会を開催した。 その折り、 参加者から先生へ向け、両高時代の思い出と感謝の言葉を記したメッセージカードを 作成した。 「授業は最後の五分だけだったような気がする」 「授業して貰った記憶がない」といったものが多い中に、「授業は思い出せないが、あの一言だけ憶えている」 として、思い出の言葉が多く記されていた。

次のようなものだ。
※ 傲岸不遜
※ 無知蒙昧
※ 粗暴野卑
※ 無知(無恥)は罪なり
※ 文化も果つる江東の地
※ 瓜の蔓に茄子はならぬ
※(学校群制度で)生徒・校舎は他校と同じでも、教員が違う
※ マメで達者で 明るく素直 ものわかり良く親切に
※ 近くにいる男の子達を嫌うんでない うち(両高)の男の子達は粗暴野卑だが
  結婚するにはいいよ
※ 天は二物を与えずというが…
※ 腐っても鯛のつもりか(君は)メザシじゃないのか
※ 告白する時には、手紙は残ってしまうから、手紙でない方が良い
※ 愚息○○○○
書き連ねていくと、ダルマ型ホックの学生服、ブレザー・四ひだスカートの年齢へと
引き戻されていく。
メッセージカードには、続いて次のような言葉か相次いで記されていた。「先生の話は、 今の年齢になって初めて理解できる」「高校生時代に、私たちを大人として接してくれた」 「高校時代に、先生のような大人に接したことを誇りに感じる」「文化祭・体育祭での無茶を良く許してくれた」
 72期生は、草深先生が我々の指導に当たられた年齢を遙かに超えている。 しかし、 どうしても あのような威厳・皮肉を込めた才知の域に達することが出来ない。 せめて少しでも近づくことが両国高校卒業生の務めと思い、 御逝去を悼み謹んで御冥福をお祈りする次第である。
     ◇
「個人的に」
 高校3年3学期。 3年間を通じて初めての赤点を草深先生より頂戴しました。
卒業式前日にいただいた成績表に、燦然と輝く赤文字の「4」。 教科は現代国語。  現代国語落第点の男が、追悼文を書くことになるとは「無恥は罪なり」を具象化した行為で あることは重々承知したことであります。
 幽明界を異にした今、この駄文に赤点を付けて貰えぬ事を悔やみ、御霊安らかなることを
 念じ上げます。

今井 達 (72回 C組)