『 感 謝 』
 印刷紙面からの「文字自動変換エラー」を お詫び致します。   (スマホ対応) 最終更新日 : 2016/06/04   
尾崎美千江 62回
 快晴の一月十六日「草深先生を偲ぶ会」に出席させて頂きました。
会場には 同期の人も十二名出席され、ご遺族のご意向に添い 終始明るく和やかな
会でした。
 先生の大親友(89歳)の方のご挨拶では 先生の若かりし頃を知り、奥様からも
先生は歌手志望でいたこと、又 お嬢様とお話した折には 家庭では厳しく怖い
父親だった事等を伺い、初耳で 新鮮なお話を沢山聞くことが出来ました。 ある方は
先生の声帯模写でご挨拶。 会場は笑いに包まれ、又、「先生を卒業」と奥様を
代理に卒業証書授与。 校歌斉唱。 万歳三唱。 偲ぶ会で万歳三唱?・・・
私は戸惑いながら初体験。 お陰様で喪失感が薄らぎ心が軽くなりました。
 さて顧みますれば 先生が両国高校ご着任後 初担任が 私達の62回生。 二十歳
違いのバリバリでした。 私は幸運にも高一、高二の二年間 大変御世話になりました。
当時猛烈な進学校であった学校内では異色の個性を発揮され、お洒落で寛容、心
豊かな教養人、 生徒にも決して偉ぶらず、信頼と自主性を尊重する人情味溢れた
人格者でした。
 授業中よく脱線しユーモア、皮肉を交え ご自身の言葉を自在に使っての
「草深節?」「草深語録?」の連発。 御見事でした。 女性司会者の方も
最初に諳(そらん)じて 「マメで達者で明るく素直。 物分り良く親切。 み目
麗しく」 と披露。 勉学に勤しんでいた生徒達に 俳句のように簡略した言葉で
語呂良く人間学を教え、心身に潤いと栄養を充分に注いで下さいました。
 私の大切な思い出のひとつに 高一の春休みに同級十名の女子に進級祝をするから
と津田沼のご自宅にお招き下さり、お若く美しい奥様と、当時二、三歳で眉と
目元が先生そっくりの可愛いお嬢様と共に 先生もお手伝いして 沢山のお料理で
おもてなし。 自ら仕上げにお海苔をかけて ご馳走して下さった ちらし寿し。
型から抜いてカットして下さったデザートのババロア。 最高に美味かったです。
食後は近くの滝不動へお参り。 記念写真、楽しかったあの日の光景は今でも鮮明。
生涯決して忘れるごとはございません。
 卒業後 三年に一度の同期会にはかならずお出まし頂き、慈父の如くいつも「元
気かい亅と優しく言葉を掛けて頂きました。 最後の言葉は「とにかく一度遊びに
来るんだよ。 待っているから。 分ったね」、「はい」・・・ と応えたまま 実現
せずに お別れとなってしまいました。 しがし乍ら 私も今年は古希、会場での黙祷
時に秘かに先生に誓いました。 いま暫く、私が逝く迄 天国でお待ち下さいませと。

 終了後、奥様ご遺族のご厚意で 先生の形見分けを出席者全員拝受し 私達同期の
者はお茶を飲んで 思い出話に花が咲き 名残り惜くも帰路に着きました。
 今は改めて 72回実行委員会、奥様、ご遺族、そして亡き草深先生に 私は心より
「感謝」申し上げたいと存じます。 ありがとうございました。
先生の御霊に謹んで安らかなご冥福を お祈り申し上げます。      合掌