9月23日三宅章郎君から高三のH組の担任としてお世話になった萩原先生の訃報の電話をいただいた。 卒業以来、何度かお会いしてから長年お目にかかることも無かったが、斎場が埼玉の指扇という都内から 遠くでもありまた、同級生の参列者も少ないと思い、近くの川口に住み、今考えてみると大変お世話になり かつ 迷惑もおかけした自分が、先生に最後のお別れをしようと お通夜に伺った。
思い返せば受験を前にしたある時、先生に職員室に呼ばれた事がある。 また何か叱られるのかと思って いたら 「これを確りやっておきなさい。」 と 怖い顔で渡されたのは英語の参考書であった。 担任でなければエスケープしたい苦手な先生の授業であったが、指された時、常に助言をしてくれた斉藤誠一君と、指扇に向かう電車に乗り合わせたのも、何かの縁を感じずに居られなかった。
お清めの席で映されていた、早稲田大学キャンパスを背にした先生とお嬢さんの写真、本当に嬉しそうで穏やかな先生の笑顔、その笑顔が 私の大学合格の報告に行った時の 今まで見たことの無い笑顔で喜んで頂いた思い出と重なり、とても懐かしく生意気盛りの当時は思いもしなかった先生の優しさを、この年になってやっと理解することができた気がした。
同級生の参列者も 三宅君、斉藤君の他に 井口君、望月君、石川純之助君、長坂君、田辺君、崎山君、 中川君、そして私と 十名が集まり、お清めの後、駅前の居酒屋で先生の思い出話などで 懐かしく穏やかな 時間を過ごすことができた。
数日後、我々が黒衣の上着から連想する ペンギンと愛称で呼んでいた 奥谷先生が逝去されたとの知らせが 吉田隆君からあった。 同時期にお世話になった2人の先生が、亡くなられたことは本当に寂しい事ですが、これを機会に旧友達が集い、昔話をするのも 両先生への手向けになるのでは、と思います。
萩原先生、奥谷先生お二人のご冥福を 心からお祈りします。
鈴木 猛(61回 H組)
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