淡交会 会報85号の 特集記事より 転載.          最終更新日: 2021/01/05    
菅 谷 真 一 先 生
( 国 語 )   1989年 〜 2001年
☆ 菅谷 真一 先生(国語)
 今回ご登場いただくのは
1989年4月から2000
1年3月まで国語科に在職
された菅谷真一先生です。
両国高校に赴任される経緯
を伺ったところ。
「前任校から異動する時、
総武沿線を希望したところ
両国高校に勤務することに
なった」とのことでした。
またそれ以前の両国高校に
対する印象を聞いたところ
「江東区で育ち、身近に両
国高校に通っていた人がい
た。また、友人が授業につ
いていくのが大変だと話し
ていたので、何だか優秀な
人が集まって勉強している
ところだと思っていた」と
のこと。
 さらに赴任後の感想を
伺いました。
山登り、俳句、犬の散歩
 教貝として直接生徒に向
かうと、人間的に優れてい
る人が多く、自分の目指す
ものをはっきりと持ち、そ
れに向かって努力する姿に
感心した。授業の後、廊下
や職貝室で質問する様子が
新鮮だった」
 印象に残った生徒やエピ
ソードについて伺ったところ。
 才能からも人格からも記
憶に残る生徒は多くいたが、
別の面から印象に残る出来
事として、野球部の顧問だっ
た私か、部室の前を通ると
3年生が中心になって部室
の掃除をしていた。ちょう
ど夏の大会の最中で、次の
試合に向けてどの学校も必
死に練習をしている時に、
3年間世話になったと、部
室の掃除をしていた。そん
な心がけを育てられる顧問
ではない自分はひどく感心
してしまった」と話されま
した。
 同僚の先生方についても
聞いてみたところ。
「授業を大事にする先生が
多かった。空き時間や放課
後も無駄口などせず下調べ
しており、事務の女性など、
研究室に入るのが怖いと言っ
ていたくらいである。ある
時、ある先生から『放課後
に校庭でノックなどをして
授業は大丈夫かね』と言わ
れた。ムッとしたが、自分
を見直すきっかけになった。
もっと単純にびっくりした
のは、初めて両国高校に来
た時、うす暗い廊下を歩い
ていると、向こうから芥川
龍之介が歩いてきたのであ
る。さすがに伝統校だと思っ
たが、よく見ると長身痩躯
の先生が静かに歩いていた
のだった。多くの方のお世
話になった。ありがとうご
ざいます」ということでし
た。
 退任後の近況について伺
いました。
「次の赴任先、城東高校で
定年退職し、嘱託として教
育庁の『未来塾”’に勤め、
65才で退職。以後無職。65
才から、病気、ケガ、事故
などに会うが現在(72才)
は回復。山登りと俳句、犬
の散歩という年金生活者の
見本のような日を送ってい
る」
 最後に卒業生たちへの
一言を伺ったところ。
「自分の中にある優れたも
のを伸ばし、その力を世間
のために使ってほしい」と
のメッセージを頂きました。
ありがとうございました。