淡交会 会報76号の 特集記事より、転載.          最終更新日: 2016/08/23    
星 野 浩 一 郎 先 生
(国語)
   東海道五十三次 2年がかりで完歩!
☆  お  元  気  な  星  野  先  生  ☆
☆  お 元 気 な  星 野 先 生  ☆

今回は 平成5年から平成22年まで在籍された 国語科の星野浩一郎先生です。

1. 両国の前任校は?
 都立足立高校でした。 実にのびのびとした校風で、14年いました。
下町的雰囲気が好きで長くいようと思いましたが、両国も100年を迎える
こともあって、その要員のような感じで 転勤です。

2. 両国高校の印象は?
 足立と同じように 親しみやすい雰囲気で、自分が入学した当時の「ロウゴク」
高校というイメージがなくなっていたことに驚きました。 もちろん、勉強の方は
私が入学した頃と相変わらず 厳しいのには変わりなく、授業準備に必死だった
ことを思い出します。

3. 在任当時の印象的なエピソートは?
 よい先輩、同僚の先生に大変恵まれましたが、自分が学生だった頃の保健体
育の先生がいて、40過ぎの私に対して、「オイ、ホシノ」と呼びつけされ、カラ
オケに 連れて行かれると、「歌え」、歌うと 「うるさい」 とか。 英語の先生で、
「お前とはもう囗をきかない」 とか。 実に驚きの連続でした。 ま、そのうち、
こっちも 長くいた分、後から赴任した同僚に対しても 同じことをしたかもしれ
ませんが。 そんなことはもうすっかり忘れました(笑)。
 結局なんだかんだ、17年間いました。 その間、授業はそこそこ (嘘です!) 、
演劇部の指導に没頭しました。 親や担任からは 演劇部にだけは入るなと言
われる程で 舞台や映画関係の仕事を生業とする 卒業生も出ていて 今でも付
き合いが あります。

4. ご退任後はどうされていましたか?
 退職後2年間、教育委員会に勤め、社会人、大学生などの人材を活用して、
学校の部活動や教育支援を行う「人材バンク」の立ち上げに呼ばれ、その間
2011年の東日本大震災後、本来の業務の他、福島原発事故の被害者家族
の 都内受け入れなどの サポートを行ったことが 印象的な出来事でした。

5. 近況や 現在取り組んでいることなど。
 65歳で公職から離れ、ひょんなきっかけから「東海道五十三次」を歩いて
みようか、と。 
2年がかりで「日本橋」から「京・三条大橋」まで歩き通し、去年の11月11日
に 完歩しました。 今は「中山道六十九次」を歩き始め、そのうち 「五街道」
を 制覇しようと思っています。

6. 卒業生にメッセージを お願いします。
 お互い、「無駄」に歩き、「無駄」に食べて、達者でいましょう!
開設しているブログ 「 おやじのつぶやき 」に、 「 おやじさん 」 近況が
出ています。     ( http://blog.goo.ne.jp/12240106 )

インタビュー編集: 内田 千晶 ( 72回 会報委員 )