津波が起きた日の朝は、私は何も知らず宿を出て、町を散策しようと宿のある旧市街から新市街へ向かおうとすると、
地元の人々から今日は旧市街から外へ出られないといって止められた。
理由も分からぬまま、宿のすぐ目の前の土手に上がって海を見てみると、昨日まで低かった水位が土手に溢れそうなくらい
高くなっている。
『おかしいな』と思っている矢先、波がザバーンと私が立っている土手の上まで勢いよくやって来て、私は慌てて宿まで帰った。
津波の影響で、テレビもラジオもインターネットも繋がらず状況が掴めなかったが、首都コロンボに住む宿主の娘さんからの電話で、
ようやく何が起きているのか理解した。
旧市街は、16世紀にオランダ人によって作られた砦に囲まれている。その砦の上に登って、上から新市街を見下ろして言葉を失った。
鉄道駅やバスターミナル、昨日まで活気を帯びていた町の中心は津波でなぎ倒され、バスや電柱は横倒しになり、クリケットの
スタジアムは、まるでバケツと化したように観客席に届きそうなほどに水が溜まっていた。
『壊滅』という言葉が頭に浮かんだ。
砦に囲まれた旧市街に宿泊していたおかげで、海から数十メー トルの宿にも関わらず助かったのが奇跡に思えた。
その晩は電気もないので、宿泊客はキッチンに集まって蝉燭を灯した中、「最後の晩餐みたいだね」と冗談を言いながら、
皆でインスタントヌードルを食べた。部屋に戻って、ひとり眠ろうとしても、ザバーン、ザバーンと大きく波音が聞こえ恐ろしくて眠れない。
目を瞑ったら、もう翌朝、生きていないのではないのかと考えたりした。
幸い、無事に目は覚め、翌日、同じ宿に泊まっていた香港人の女性2人が、「車でコロンボまで帰るので同乗していかないか」
と声をかけてくれたので、一緒に車でゴールを脱出することにした。
途中、道端で倒れている人や、ご家族を失ったのか道で泣き叫んでいる人など忘れられない光景を目にした。
ようやくコロンボに到着し、そこで初めてテレビで津波の報道を目にし、自分がどんなに大変な事に巻き込まれていたか知った。
日本にいる家族にもようやく無事であることを連絡できた。
こんな経験をしたにも関わらず、懲りずに 翌年秋に一人旅に出たが、さすがに 今度はちゃんと連絡がつくような先進国にしようと
フランスに行った。
それまでフランスにも都会にも興味はなかったが、行ってみたらパリの街並みの美しさと、人々が話すフランス語の美しさに、
『フランス語が話せたらパリに住みたいなあ』と虜になった。そして今、フランス人の夫と一緒にパリ近郊に住んでいる。
運命とは不思議なものである。
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