【 淡交会 会報86号 インタビュー記事 】  画面更新して、見て下さい。   最終更新日: 2021/06/04  
―― 新型コロナウイルス感染
症が世界的な大流行となって
1年たちますが、まだ収束の
兆しは見えません。コロナ対
応についてお聞かせください。

「当病院は当初、昨年4月に
開院の予定でしたが、2月に
クルーズ船『ダイヤモンドー
プリンセス』の集団感染かお
り、行政からの要請もあって、
急遽3月16日、コロナ患者だ
けに絞ってIか月前倒しオー
プンしました。成田に立地す
る新しい病院として、あらか
じめ計画していた国際臨床感
染症センターが十分に機能し
ました」          
 ―― コロナ患者受け入れは
大変でしたか?     
「エボラ出血熱とか海外から
感染症が入ってくることを想
定し設備を整えていました。
装置を整備し、検査・診療・
入院などコロナ患者の動線を
別にして、感染防止対策はしっ
かりと準備しています。医師・
看護師たちは防護服を身に着
けるなど苦労しましたが、院
内感染は起きていません。た
だ、風評被害で『あそこはコ
ロナ病院だ』、『コロナがう
つる』などと言われ、4月に
全面オープンしてもしばらく
は患者が少なかったです」  

―― コロナの入院患者はどれ
くらいですか?       

「重症・中等症患者を含め現   
30人くらい入院しています。
多い時は40数人入院していま
した。べ。ドは71床用意して
います。昨年3月からの↓年
間で入院患者は累計500人
強になります」
 ―― 大きな病院ですね
「あらゆる疾患に対応できる
よう診療科は全33科をそろえ
て総合的な診療を行っていま
す。加えて国際臨床感染症セ
ンターのほか予防医学センター、

脊椎脊髄センター、消化器病
センター、脳卒中センター、
血液浄化(透析)センター、
リハビリテーションセンター、
遺伝子診断センター、がん放
射線治療センターなども開設、
医師・看護師・職員は約10
00人います。病床は642
床が予定されていますが、現
在は320床で運用しており。
1日の患者数は700〜80
0人です」
―― コロナ、今後の見通しは?
         「多くの感
         染症専門家
         が言うよう
         に、新規感
         染者は増え
         たり減った
         りしますが、
         欧米と比べ
         て日本のコ
         ロナ感染者
         数は多くは
         ありません。
         ワクチン接
         種が進み、
         国民の7割
         ぐらいが抗
         体を持てば
         フェードア
         ウトすると
         思います。
     ワクチン接種が遅れ
     れば遅れるほど、ま
     た次の感染の波が来
     てしまいます。国内
で変異株に対応できるワクチ
ンの生産体制が出来ることが
大事です」         
―― 7月に迫った東京五輪に 
ついてどう考えますか?
「外国から観客が来るのは最
もリスキーなことです。参加
選手の安全を十分に管理出来
れば、最低限のオリンピック
は出来る可能性もあると思い
ます」           

―― 国際医療福祉大学の医学
部は、成田病院の開院前に開  

設されていますね。    
「成田キャンパスは2016
年に看護学科、理学療法学科
など5学科でスタートし、医
学部は翌17年に開設。当病院
は医学部の附属病院です。海
外でも活躍できるグローバル
な人材を育てるため、1、2
年生の授業はすべて英語で行っ
ています。1学年140人の
うち20人はミャンマー、カン
ボジア、ベトナム、中国など
の留学生。6年次には海外臨
床実習も必修です」

―― ところで、宮崎さんは肝
胆膵がんの第一人者と伺いま
した。           
「肝胆膵がんの外科治療が専
門です。特に難易度が高いと
される肝臓、胆のう・胆管、
膵臓を扱う肝胆膵外科医とし
て1500件を超す手術を執
刀してきました。これらの臓
器は。沈黙の臓器”と呼ばれ、
進行した段階でがんが見つか
るため、切らずに諦めるヶ|
スが多いのです。専門分野を
選ぶ時、肝胆膵の外科は当時
世界的にも遅れていた領域な
ので、あえて志しました」
―― やりがいがあると思った
わけですね。       
「一人でも多くの患者を救い
たい一心で、局所再発した胆
道がん・膵がんに対しても可

 能な限り手術を行い、再発切
 除例の5年生存率が81・8%
 という好成績を上げてきまし
 た。チャンスのある患者を救
 うのは外科医の使命です。切
 除不能例を出来る限り切除可
 能にし、多くの患者を助けた
 いと思っています」     

 ―― まだメスを握っているので
 すか?          
 「成田病院では病院長として
 の仕事だけですが、前任の三
 田病院に週1回行って、手術
 も行います。体の続く限りメ
 スを握りたいと願っています。
 体力維持と気分転換を兼ね、
 休日の夕方にジョギングをし
 ています」         
 ―― 嬉しかったことは?

「大変な手術を乗り越えて回  
復した患者さんが感謝してく
れた時。それと手術後586
年たった元患者さんから、元
気でやっているという手紙を
もらった時です。手紙は全部
取ってあり、読むと励まされ
ます」           

 ―― 最後に、両国高校の思い
 出をお聞かせください。

「英語の杉(安太郎)先生の
迫力にびっくり。(旧校舎)
屋上の4階プレ(ブ教室で真
冬に怒鳴り声で窓を開けさせ
られました。威圧感が半端じゃ
なかったが、嫌な感じはしま
せんでした。3年生になると、
実力試験の成績上位者が浪人
生と一緒に廊下に巻紙で貼り
     出され、刺激にな
     りました」  
      ―― 部活は?    
     「野球部で3年の  
     夏の大会、7月ま
     でやりました。中
     学でも野球部で、
     2年の時エースと
     して私立校も参加
     した墨田区大会で
     決勝に進出、錦糸
     中をI−0で破っ
     て14年ぶりに優勝
     しました。中学時
     代唯一の自慢です。
     高校では全然ダメ
でした。週3回しか練習でき
ないし、時間も短い。2年の
秋からレギュラーになり、3
番ショートでしたが、都大会
で一勝するのも容易しゃあり
ませんでした」       
 ―― 杉先生のほかに印象に
残る先生は?       
「能を教えてくれた国語の草
深(清)先生です。授業で能
の話をよくされ、能や狂言を
観に連れて行ってくれました。
両国はユニークな先生が多かっ
たし、在任期間が長く、学校
愛が強いと感じました」   
 ―― 医者になりたいと思っ
たのはいつですか?    
「医学部を受けて医者になろ
うと思ったのは3年になって
からです。当時は土木工学が
人気で、それまでは建築に行
こうと思っていました」
 ―― 母校の後輩に一言。
「自分の好きなことをやるの
が大事かなと思います。私は
野球が好きで野球にかなりの
時間を割きました。それを通
じて仲間といろんな時間を共
有する中で親友も出来ます。
学問を学ぶことも大事ですが、
それだけが学校生活ではあり
ません」          
(3月2日、千葉県成田市
 の国際医療福祉大学成田病院
 4階会議室で)(宇田川)
   ◇  ◇  ◇
 みやざき・まさる 1950
 年9月、千葉県市川市生まれ
70歳。 国際医療福祉大学
副学長、同大学院教授、同
成田病院病院長。医学博士。
 日の出学園日の出小、墨田
区立両国中を経て66年4月、
両国高校に入学、69年3月に
卒業した。
 69年4月、千葉大学医学部
に入学し、75年3月に卒業。
同年6月、同大学医学部第一
外科入局。81年〜83年、カナ
ダートロント大学に外科留学
し(リサーチフェロー)、肝
再生を研究。
 83年4月、千葉大学医学部
第一外科助手(肝胆道研究室
主任)。同年5月、医学博士
取得(肝悪性腫瘍に対する血
管作動性物質の肝動注療法に
おける効果に関する基礎的検
討)。9310月、同講師。
2001年4月、千葉大学
大学院医学研究院臓器制御外
科学教授(16年3月まで)。
06年4月、同大学医学部附属
病院副病院長、07年4月、同
手術部長(兼任)°11年4月、
同大学附属病院病院長、同大
学副学長。
 16年3月、千葉大学退官。
同年4月、国際医療福祉大学
教授、副学長、同三田病院病
院長。20年3月、同大学副学
長、同大学院教授、同成田病
院長となり、現在に至る。
 元日本外科学会会長、   
 元日本肝胆膵外科学会理事
 長、元日本胆道学会会長。