作成日:2022/02/29   
吉 田 隆 さ ん (61回) か ら の 寄 稿 文 紹 介   


 先日、61期C組の中村健藏さんから、1964東京オリンピック開催直前に発行された
学校配布印刷物をいただきました。 当時の在校生・卒業生・先生方が執筆した三高教室
・365日 (63年復刊の生徒会誌)・風力計です。  中村さんのお母様が大事に保存して
下さった貴重な印刷物です。 主だった同期生の活動 (生徒会・部活)・学校内で 名を馳
せた有名先輩の文・写真等が 印刷されていました。 上記の印刷物の主なところ・目を引
くところを 淡交会報への寄稿として、私が 投稿させていただきました。 以下のように分
けて寄稿しました。

1) 有名な同期生の活躍
 吉田隆徳君は、非常に弁舌の立つ論客で、学力優秀・英語力は 読み書き共に優れ、厳し
いことで定評があった 杉先生から褒められたことしかなく、叱られたことが 皆無のすば
らしい生徒でした。 生徒会長として 60年安保後の学生運動が活発になりつつあった時期に
生徒会長として、誰でも参加できる 民主的な 生徒会を作りました。 また、2年生として
最後となった 1年先輩の卒業式では 在校生送辞を命じられ、先輩方を元気づける スビーチ
をしました。 卒業後は 東京外大でロシア語を学ばれ、卒業後は 商社の モスクワ営業所に
勤務され、共産主義下のソビエトに 日本製の機械を たくさん売って、勤務先の会社や 日本
国の外貨獲得に寄与されました。 長くソ連勤務したにも関らず、思想的にはプレーンの社
会人でした。
 365日に文を掲載された 下山肇君は もの静かで 謙虚な人でしたが、同期の 生徒達や
外部の人たちからの評判もよい人でした。 また、校内配布雑誌の 初代編集委員長として、
発刊することに寄与され、今日まで 50回を超える 発行回数を重ねる名誌です。  遠方に勤
務されていたため、同期会に 来られなかったのですが、亡くなる2,3年前 の同期会に出席者
全員で乾杯できるだけのワインをいただきました。 残念なことにその2年後に亡くなられま
した。
☆ ☆ 活 躍 の 顕 著 な 運 動 部 ☆ ☆

2) 活躍の 顕著な 運動部
 多くの種目のスポーツ部活がありましたが、バレーボール部の活躍が顕著でした。1964
東京オリンピ″クで東洋の魔女(日本女子チーム)が金メダルを獲得した時より少し前、両国
高校のバレーボール部は 東京都内4位の強いチームでした。その頃の顧問の先生は高校バレー
ボール協会の役員をしておられ、東京オリンピックの前年に開催された 東京国際スポーツ大会
(プレオリンピック) の時は、東洋の魔女が 打ち負かした世界一のソ連チーム(総合的強さでは
ソ連の方が日本より強かった) の男女両チームが、別の日に両国高校の体育館(当時は 銅板葺
きで青い屋根、東京大空襲の時に三中で焼けなかった唯一の建物)に練習に訪れた。

 本記事に添えた写具はバレーボール部の練習写真(前衛のジャンプブロック練習、エースア
タッカー 鈴木徳千代 君中心 ) とバレーボール部で 体力を鍛える と同時に 受験では 難関の
医学部に挑戦して合格し、千葉大医学部卒業後、透析治療クリニックの院長として激務をこな
している小林弘忠君、そしてたまたま撮れたソ連女性チームエースアタッ力ーのリスカル選手
(世界一の女性アタッカー)の写真です。

3) 先輩方の書かれた文
 以下に2人の先輩が365日に投稿された文から引用させていただき、私か要約と解説を書
きました。
(I)三遊亭円遊さん(落語家、59期当時の氏名は高ヶ内光三/たかがうちみつぞう)
 在学中は、弁論部で活躍、勉強には熱心でなかったが、両高祭で活躍、授業をよくさぼり、
数学の祥雲先生(怖いので有名な校史に語り継がれる残る著名な先生)に怒られていた。
普段は授業をさぼり、両高祭の時には祭りを催す中心人物となって活躍するという行動をとっ
ていたために先生に怒られていたので、そのことを書いたのが、365日第2号に投稿され
た「異端者の追憶」です。

(2)藤本邦明さん(60期 外資系コンピュータ販売会社社長)
 この方がご自身で書いた「プロフィール」が、365日第2号に掲載されている。
数学が非常によくできて、実力考査では常に卜ップクラスの秀才で、体格もよく非常に運動神
経も素晴らしかった。後輩からの印象では、『成績一番かつ番長』と思う先輩であった。
自身で書かれたプロフィールには、「自分でも驚くほど僕は数学が出来た。そこで世界的に有
名な数学者は 大体が 十代で 偉大な業績を残している」と思ったので、その道はあきらめた。
授業をさぼって外に遊びに行ったが、受験が近づくと、異性との付き合いはやめた。そして、
東大理一に現役で合格できた。と書いておられた。
 藤本先輩は、今、オーストラリア東海岸におられる。私のオーストラリア東海岸に住む大学
同級生が、俺の家の近くに 藤本という人がいて、「 両国高校卒の自分と近い年齢の者には、
俺のことを知らないものはいない 」と言っているが、それは本当か? という趣旨の問い合
わせメールを送って来た。 私は、「 それは本当だ。 学力と力の 両方を兼ね備えた素晴ら
しい人だ 」と答えた。 私に問い合わせした友人も 大学ではなかなかの者で、授業に 一回
も出席しないで、化学系学科を卒業した という とんでもない奴だった。
そのような奇遇に驚いています。

 以上、色々と書きましたが、中村健藏さんからいただいた 両国高校の 昔の 発行誌を 読む
と 若いころの思い出が、多くよみがえってきます。
 ここで紹介したもので ご覧になりたいものがあったら、私または 淡交会事務局に ご連絡
ください。「 何年ごろのどのような記事を読みたい 」と言ってくだされば、対応できます。