上の大きなタイトルロゴを クリックすると 「総合ページ」 が見られます。   作成日:2023/01/18 by AM   
 

 淡交会前事務局長の森元忠夫君には、去る3月19日に逝去された。
共に淡交会事務局を6年間に亘って担った同志として、感謝の意を込めて哀悼の辞を捧げる次第である。  「縁は異なもの」との俚諺があるが、森元君と私とは、どういう訳か両高生の頃から親しかった。
お互いの住まいが本所四つ目通り、錦糸町駅から約1.5qの点対称の位置にあり、互いの家を訪れていた。
その後、一緒に上越国境にスキーに行き、関西方面に弥次喜多道中で旅をした思い出がある。

≪ ☆☆ 故 森 元 忠 夫 さ ん ☆☆ ≫

☆ 故 森元 忠夫さん ☆

森元君は高校1年生の頃から、非常に温和でユーモアに溢れた懐の深い若者であったが、 そんな森元君の人柄に惹かれての交遊であったと思う。
 進学した大学も千葉大学で一緒であったが、淡交会の名の通り、べ夕べ夕とした交遊をその後も続けていたわけではなく、 10年程音信不通のこともあった。
 森元君は、両国高校バスケットボール部で活躍したが、千葉大学に進学した後も、母校の後輩達のコーチ役を続けていた。
彼の母校愛の一端をこれによっても窺い知ることが出来る。
 私は、淡交会会長を平成25(2013)年に 前任の郷通子会長から引き継いだが、この会長職を引き継ぐに当たっては、 事務局で私を支えて下さる複数のスタッフが必要不可欠である。
そこで、会長職をお引き受けする以前に、同級生であった鳥海征次君、森元君、室賀五郎君が 事務局を支えて下さるという快諾を得たのであった。
 当初は、鳥海君が事務局長、森元君には次長にご就任頂き、前任の外山三喜事務局長、羽鳥雙六次長から 事務局運営の実際を数ヶ月に亘りご教示頂いた。
この間は無報酬で辛酸を嘗めて頂いたのであった。
このようにして、この年(平成25年)の6月の淡交会総会で新体制が発足した。
 引き継いだ淡交会にはいくつかの問題があった。
創立以来の貴重な資料を整理保管する「資料室」の会計が一般会計とは別個のものであったこと、
および事務局経費が過大で一般会計が赤字転落の危機に直面していたことであった。
森元君は鳥海事務局長と図り、既得権が障害となっていた「資料室」の会計の一般会計への一本化を成功させた。
更に、事務局経費の削減の為に、自らの報酬を50%力ッ卜し、更に水曜日を休日とすることによって、 事務局経費を総体として50%に圧縮することを成し遂げてくれたのであった。
 翌年に鳥海事務局長が辞任することになり、森元君が事務局長に就任。
「資料室」の整備のために、室賀君が大働きをして下さり、
同じく同級生の矢澤弘道君には、財務会計の専門家として参画頂いた。
森元君は、誰からも慕われる人であり、事務局員の岩崎美由紀さん、郷家眞弓さん、また宇田川会報委員長をはじめとする 各種委員会の皆様から「ユーモアのある温かい人だった」との言葉が寄せられている。
 室賀君によると、森元君が奥様に「淡交会時代は楽しかった」と話されたとのことである。
この言葉を伺って、同志としての私共も安堵している。
ご冥福を心から念じます。
 森元忠夫君、本当にありがとうございました。(合掌)

寺澤 捷年(60回)      
(淡交会報 第88号より 転載)    

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