東日本大震災から 早くも10年が経過しました。
この年の3月に、当時の小島事務局長から、「淡交会ホームページの新規作成と維持管理をお願いしたいのですが、」との
丁重なお誘いがありました。
当時は、私は健康でしたが、家内の具合が悪く、震災直後の不安もあって、ホームページ関連の新規作成は、
家事に時間が取られ、十分な時間が得られず、お断りするつもりでした。
家内にも相談の時に、「仕事を始めると、忙しくなり、夜型人間になり、生活のリズムが乱れ、家内に迷惑を掛けることになる。」
との話をしましたが、逆に、この説明の内容に対し、『私が引き受けたいので、理由を説明している』と解釈したようで、
統合失調症と幻聴の苦しい状態の中で、『引き受けてみたら!』と単純に返答されました。
この言葉が 淡交会の膨大なホームページの新規作成と、様々な特殊機能を含めたリンク頁作成や維持管理を引き受ける契機となりました。
Webページ作成に関し、趣味の段階にも到達していない素人にとっては、更に、苦労を背負う事になりました。
当時は、ホームページ作成の経験も浅く、3ヶ月ほどでトップページの様々な機能設定が出来るとは、思っていませんでした。
事務局側からの概略デザインが明確になり、5月の連休からスタートして、7月には基本の頁はほぼ作成を終えていました。
然し乍ら、様々な 関連ページを 整理して作成している内に、夜型人間になり、身体にだいぶ負担を強いていたようで、
9月から全ての頁を公開してからも、改善や見直しで時間を取られて、翌年には、糖尿病の境界型から更に悪化した為に、
その後は 2時間/日の運動を行うようになりました。
昼間は 家事の分担や飼い猫の世話や屋外の運動などで空き時間が無く、多忙の為、夜間に淡交会Webサイトの維持管理をしていました。
現在は、その殆どの作業を同じ委員会の武藤委員長(引継ぎ済み)にお願いしている状態です。
複雑な 細かい知識が必要で、細かい表示方法に拘る性格でないと長続きしません。そんな中で、優秀な武藤さんにいろいろなお願いをして
現在も、淡交会のホームページは維持管理されています。
縦書きのホームページも数年前は 手さぐり状態でしたが、今は、3桁の数字も横書きひと桁の数値として、位置のずれも無く、
ほぼすべてのスマホでも正常にみられるようになりました。
この縦書きページが、必ずしも必要で無い為、数年後には、見られなくなりそうです。
他の都立高校同窓会のホームページでは、全く見られない表示機能です。
このトップページの 一覧表示機能は不可欠で、特に、プルダウン表示は、今後も活用して頂きたいと思って居ります。
学校校舎の写真部分の自動スライド表示の機能は、捨て難く継続を希望したい所です。
これから継続して行く上での要望内容は、細部に拘らず、SNSやFacebook のように、自由で活発な書き込みを可能とする
安全で、使いやすい表示機能を追加して頂ければ幸いです。
最後に、資料室委員会からの要望もありまして、「淡交会の会報」や「資料室レポート」、更には、府立三中時代の、
70號に達する膨大な数の「學友會雑誌」に関し、黒い砂をまき散らしたような、汚れたコピー資料を隠し財産のように保管していますが、
これらの貴重な資料も、劣化が進んで、更に、焦げ茶色く黄ばんで、さらに読み難くなりつつあります。
この三中時代の學友會としての発刊資料は、初刊本としての入手は困難で、たまたま入手できた製本も、茶色く黄ばんで、
読み難い物です。
現在、明治34年の 第1號から第20號までの清書と版下作製は、終了していますが、戦中の団報を含めて、第72號までの
膨大な資料がありまして、画像処理ソフトのPhotoshopでの汚れを消す方法もありますが、字体が変わって、丸みを帯びて、
文字が滲んで、全く別の字体になってしまう為、使用を避け、砂粒のような汚れを手作業で、消去しています。
願わくば、ボランティアの有志が現れて、汚く読み難い戦前の會報を読みやすく、関係者以外の方々へも開示できるような状態にしたいと願い、
広く、会員の方々へご協力をお願いしたく思っております。
富国強兵の時代から、軍国主義の教育現場への強烈な圧力の中で、果敢に立ち向かい、自主独立の理念で奮闘しています。
更には、戦前・戦中の様々な著名人の若き時代の投稿も出て来ますので、近代文学にご興味のある方には、貴重な経験となろうかと思われます。
是非とも、後任の方々へのご支援・ご協力を深くお願いし、挨拶と致します。
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