( スマホ )  作成日 : 2013/02/26 by HA   
  ■   第3回 「梅の亀戸界隈」 散策

同窓生が参加して、旧第6学区であった墨田区、江東区、江戸川区、葛飾区の名所旧跡を歩く集まりです。前2回は、両国界隈および深川界隈の名所・旧跡探訪でした。

今回もHP上で参加者公募を行いましたが、残念ながら応募がありませんでした。 そこで、前回同様にWEB委員、事務局関係者の11人が参加しました。
今回も、公認「江東区文化観光ガイド」である戸張誠之助さん(54回)の引率・案内で、亀戸界隈の梅の名所・旧跡を歩きました。

残念ながら今回のコースがわかる適切な案内地図が見当たらなかったので、それぞれのアクセス方法は(下線を施された名称をクリックして表示される)リンクサイトで確認してください。

コース予定
     集合時間・場所 : 2月23日(土)10時、JR総武線 「亀戸」 駅 北口改札

10:00 〜 「亀戸」 駅から東武亀戸線で 「小村井」 駅へ移動 (亀戸から三つ目)−
      「小村井梅園跡・香取神社」(香梅園寒梅)−
      境橋(北十間川からスカイツリー展望)−光明寺−
      亀戸天神社(梅まつり寒梅)−亀戸香取神社−
      勝運商店街−菓子舗 「山長」−
      
13:00 〜 昼食・打ち上げ 「さかな道楽」 にて



小村井香取神社 と 香梅園


小村井(おむらい)駅から歩いて5分。「小村井香取神社」は、開拓者葛西氏の氏神として永万元年(1165)創建、村の鎮守として崇敬を受ける。祭神「経津主神」は武神、開拓の神。当社は、千葉香取神宮の分社。
東隣に、江戸時代には3千坪超の梅園があり、築山・池・石に紅梅・白梅を配した庭園「梅屋敷」と呼称されていたが、明治43年の洪水で流出し、廃園。
平成6年、宮司の手で85種120本の梅が植樹され 「香梅園」 として甦った。


【 祐天堂 と 木下川やくしみち道標 】


左に 「花王梶v の敷地沿いに歩くこと5分、北十間川に架かる 「境橋」 からは正面に 「東京スカイツリー」 を展望することができる。
「境」の地名は、大昔ここが陸地と海との境界だったこと、また、江戸時代になって 「大川(現・隅田川)」 の東側の低湿地が整備されて運河が張り巡らされた時代、北十間川が現在の江東区と墨田区の区境になったこと、に因んだものだとか。
この橋の南詰に 「祐天堂」 と 「木下川やくしみち道標」 が建っている。元禄年間、祐天上人が多数の水死者を目のあたりにし、懇ろに回向供養し、後年土地の人が祠と供養塔を建立した。以後、水死者が無くなったという。
また、道標は葛飾区東四つ木の「木下川薬師堂」への参詣道標。


【 梅屋敷跡 と 臥龍梅 】


北十間川沿いの道路端に説明板がある。
かつて、本所(浅草)の商人・伊勢屋彦右衛門の別荘に、3600坪の敷地に300余鰍フ梅が植えられ「清香園」と称されていた。
中でも、龍が地を這い臥している如き白梅あり、水戸光圀が「臥龍梅」と命名。将軍吉宗も立ち寄り「代継梅」と讃えた。
浮世絵師・広重は十数作を残している。ガイドの戸張さんが掲げている版画「臥龍梅」はゴッホが模写をしていることで有名。


【 梅屋敷伏見稲荷 】
明治43年の洪水と工場の排煙などから梅の大部分が枯れてしまい、廃園となってしまいましたが、その跡地に残された 稲荷神社です。 路地を入って少しした場所にあるので、見つかりにくいかもしれません。 さすがは戸張さんです。


【 入 神 明 宮 跡 】
船が島に入って泊まる所に伊勢神宮分社を勧請したもの。
説明板のみ立っていた。


【 光明寺 と 歌川豊国の墓 】


光明寺は、天正16年(1588) 創建の天台宗の寺で浅草寺の末寺。
歌川豊国は江戸後期の画家で、美人画や役者絵に妙技を揮い多数の作品を残した。彼は、「五つ目の渡し」 の株を有していたことから、「五渡亭」 と称した。
墓石の 「五渡亭」 は太田蜀山人の筆跡。


光明寺の門前にある蕎麦舗「前野屋」さんは、浮世絵のコレクションを多数お持ちとかで、店内にはその一部が季節に合わせて展示されている。
食事もしない私たちを快く展観させていただきました。


亀戸天神社 と 境内史跡 】


光明寺から南に歩いて3分ほど、南側にある正門ではなく東側の入口から入った。本堂屋根の向こうに東京スカイツリーがそびえて見えた。


「亀戸天神社」は、寛文2年(1622)、九州大宰府天満宮の神職で道真公裔孫の大鳥居(菅原)信祐が夢告を受け、飛梅で刻んだ神像をこの地に祀り「東宰府天満宮」を建立した縁起をもつ。
境内の配置は太宰府天満宮と同一、飛梅伝説や望郷の歌など菅公と梅は深い因縁(神紋も梅、梅祭り300本の梅)。



妙義社(現御岳神社)の祭神は菅公教学の師13代天台座主法性坊尊意、卯の日卯の刻に亡くなった為、初縁日を初卯の日と定む。
鷽替え神事の碑には、大きな鷽が飾られていた。


亀戸香取神社


亀戸香取神社は、天智天皇4年(665) 中臣鎌足が東国に下向する際に勧請された。
天慶2年(939) 平将門の反乱に対する追捕使の俵藤太秀郷が戦勝を祈願し、平定後に弓矢(勝矢)を奉納した。
祭神「経津主神」は軍神、武人の武運長祈願の対象、頼朝・家康・秀忠・卜伝・千葉周作等剣豪が参拝している。現在では、スポーツ振興の神ともされている。
「勝矢祭武者行列」は5/5。


亀戸香取勝運商店街


元、香取神社の境内参道に明治の頃から発展し、一時「亀戸の台所」の呼称された商店街。2011.3.12 に、「看板建築」で統一感を演出して、昭和30年代をイメージした観光レトロ商店街としてリニューアルオープンした。
「蔵前橋通り」側の入口にある菓子舗「山長」は淡交会員の経営するところ。


☆ ☆  亀 戸 天 神 社 太 鼓 橋 で  ☆ ☆
☆ ☆  亀 戸 天 神 社 太 鼓 橋 で  ☆ ☆
【 左 側 か ら 右 側 へ 、敬 称 略 】

9段目: 金林 和裕  (71回)
7段目: 宮地 達雄  (55回)
4段目: 安 部  紘 (58回)
1段目: 小島 基男  (52回)

10段目: 松 井 隆  (100回)
7段目 : 可 児  愃 (59回)
5段目 : 岩崎 美由紀 (事務局)
3段目 : 五反地 清光 (67回)

12段目: 戸張 誠之助 (54回)
8段目 : 武 藤  章 (62回)
6段目 : 石田 素美  (77回)
3段目 : 郷  通 子 (55回)


                    記録 安部 紘 (58回)