最終更新日: 2012/4/10  

■ 2012年4月8日 深川界隈名所旧跡探訪      

同窓生が参加して、旧第6学区であった墨田区、江東区、江戸川区、葛飾区の名所旧跡を歩く集まりです。
前回は墨田区「両国界隈の名所・旧跡探訪」でした。


前回の「試行」内容が好評だったので、今回はHP上で参加者公募を行いましたが、残念ながら応募がありませんでした。 そこで、前回同様にWEB委員、事務局関係者の11人が参加しました。
今回も、公認「江東区文化観光ガイド」である戸張誠之助さん(54回)の引率・案内で、深川界隈の
名所・旧跡を歩きました。



          この案内地図と説明文の一部は 「江東区 観光マップ」から借用しました。

コース予定
      集合時間・場所 : 4月8日(日)10時、東京メトロ「森下」駅改札

10:00 〜 深川神明宮−芭蕉記念館−隅田川テラス−芭蕉史跡展望庭園−芭蕉稲荷−
      万年橋−横綱通り・三野村ビル−臨川寺−本誓寺−清澄庭園−霊厳寺−
      
12:00 〜 昼食「深川めし」

12:40 〜 深川江戸資料館−滝沢馬琴生誕の地碑−採茶庵−芭蕉俳句の散歩道−
      元木場跡−えんま堂・陽岳寺−富岡八幡宮−深川不動堂−大横川の桜見物 〜
16:00 頃 解散。 (二次会へ)



深川神明宮
「深川」発祥の地。 徳川氏の関東入国から間もない 慶長元年(1596)、
家康公が当地を巡視されたおりに、大坂摂津から来た深川八郎右衛門を呼びよせ、地名を尋ねた。 「まだ住む人も少なく地名もない」と応えると、家康公は八郎右衛門の姓「深川」を地名とするよう命じたという。

芭蕉記念館
俳聖・松尾芭蕉が庵を結んだこの地を拠点として、多くの名句や『おくのほそ道』などの紀行文を残した。  江東区は、この地に、松尾芭蕉の業績を顕彰するため、昭和56年(1981)4月19日に芭蕉記念館を設立、芭蕉ゆかりの品を展示している。

隅田川テラスにて
隅田川の護岸の内側に芭蕉の句碑が立っている。
因みに、この句は「名月や池をめぐりて夜もすがら」

芭蕉史跡展望庭園
隅田川に流入する小名木川河口(三股)に設営された、「芭蕉記念館の
分館」である小庭園。  眺望絶佳、写真正面の吊り橋は「清洲橋」。

芭蕉稲荷
大正6年(1917)の大津波の後、常盤一丁目から「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)が出土し、地元の人たちの手で祭られたもので、境内には、芭蕉庵
跡の碑や芭蕉の句碑があります。

万年橋
凡そ340年前に架けられた橋で、区内最古の橋。「川船番所」が設けられ
ていたことから、別名「番所橋」。 夜間のライトアップも話題に。

三野村ビル
三井創業の立役者 三野村利三衛門ゆかりの昭和初期の建物。

臨川寺
延宝8年(1680)深川に移り住んだ松尾芭蕉は、臨川寺を建立した仏頂禅師と親交が厚く、度々参禅に通ったと伝えられている。 以来、芭蕉ゆかりの寺として「玄武仏碑」をはじめ、「梅花仏碑」「墨直しの碑」「芭蕉由緒の碑」などの石碑が残されている。

本誓寺
「柳家」創業の呂一官の墓、国学者村田春海の墓がある。

清澄庭園
江戸中期、下総国関宿の城主・久世大和守の下屋敷として庭園が形づく
られ、明治11年、岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画。 隅田川の水を引いた 大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の
庭園を代表する「回遊式林泉庭園」が 完成した。


お昼は、「深川釜匠」で「深川めし」を賞味。
「深川めし」は、 気の短い江戸っ子の漁師が手軽に食べるために考案されたアサリのすまし汁を米飯に掛けたもの。 最近の「深川めし」には、ぶっかけ飯、炊き込みご飯、蒸篭飯と何種かあるようですが、今日は「炊き込みご飯」。  あさりがたっぷりの丼は、けっこう食べでがありました。



霊厳寺
寛永元年(1624年)、霊巌上人の開山により、日本橋付近の芦原を埋め立てた霊巌島に創建された。 江戸の大半を焼失した明暦の大火(1657年)により霊巌寺も延焼。徳川幕府の防火対策を重視した都市改造計画の一環として、現在地に移転した。松平定信の墓、江戸六地蔵の第五番が安置されている。

深川江戸資料館
資料展示室は、地下1階から地上2階までの吹き抜け空間に、江戸時代(1842年から1843年を想定)の深川の町並みや庶民の生活ぶりを再現している。  長屋2棟をはじめ八百屋、春米屋、火の見櫓、猪牙舟の浮かぶ掘割、船宿のたたずまいなどをはじめ、家の中の生活用品類一つ一つにまで細かく気を配って再現して、実際に手にとって見ることができる。

滝沢馬琴生誕の地碑
南総里見八犬伝の作者で有名な滝沢馬琴生誕の地。  石碑は本を積み重ねた形で、全98巻106冊ある南総里見八犬伝と思われる。 上の2冊は表紙が見え、そこには南総里見八犬伝と書いてある。

採茶庵・芭蕉俳句の散歩道
芭蕉が奥の細道の旅に出る前、しばらく杉山杉風の別墅採茶庵に住み、元禄2年(1689)5月16日仙台堀川の土手から船で出発した。出発前には、長年住みなれた芭蕉庵は人手に手放している。 この庵の右側、仙台堀川沿いの「水辺の散歩道」に、芭蕉が奥の細道の旅先で詠んだ句、十八句が掲示してある。

元木場跡
寛永18(1641)年間、江戸はまだまだ建設ラッシュで、日本橋や神田にあった材木置場は江戸市中の火災の度に、その材木が延焼を促していた。 そこで幕府は、市中35ヵ町の材木商に隅田川沿岸に設けられた材木置場への移転をうながした。 これが深川の木場の原型で「元木場」と呼ばれる。

えんま堂
写真の閻魔様の前にはずらり19種類のさい銭箱。 病気平癒、商売繁盛、息災延命、交通安全、家内安全などと、それぞれ「専門」に分かれている 。 MIさんが、さい銭を入れてみると、自動的に照明がともり、スポットライトが回って、ありがたいお言葉が流れてきた。 現代の世に合った仕組みか。

陽岳寺
寛永十四年の創立にて、 開基は向井左近衛将監源忠勝。 (向井家は代々、幕府「船手奉行」を勤めた家柄。) 寺内に「伏見義民墓」がある。

富岡八幡宮
「深川八幡祭り」が有名で、3年に1度、八幡宮の御鳳輦が渡御を行う「本祭り」が催される。
また、当宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名で、境内には「横綱力士碑」などゆかりの石造品がある。
さらに、江戸時代後期の測量家・伊能忠敬翁は深川黒江町(現・門前仲町1丁目)に住み、測量の際には富岡八幡宮にお参りして旅立っていたことから、縁りの地であるこの八幡宮に銅像が建てられている。


深川不動堂
元禄16年(1703年)、1回目の成田不動の「出開帳」が富岡八幡宮の別当・永代寺で開かれた。
「出開帳」は江戸時代を通じて行われ、明治維新後、神仏分離令により永代寺が廃寺となった後も不動尊信仰は止むことがなく、明治11年(1878年)に現在の場所に成田不動の分霊を祀り、「深川不動堂」として存続することとなった。


左から、清澄公園、仙台堀川、大横川の桜




ビールで乾杯!
第2回「見て歩き」は無事に終了。
日曜日の午後4時すぎ、「お疲れさん会」の会場がなかなか見つからない。
やっと開店していた海鮮料理店で、名ガイド戸張さんに感謝する会はおおいに盛り上がったことでした。


☆ ☆  芭 蕉 史 跡 展 望 庭 園 で  ☆ ☆
☆ ☆  芭 蕉 史 跡 展 望 庭 園 で  ☆ ☆
【 左 側 か ら 右 側 へ 、敬 称 略 】
宮地 達雄 (55回)
武藤 章 (62回)
松井 隆 (100回)
石田 素美 (77回)
  
  
安部 紘 (58回)
小島 基男 (52回)
郷 通子 (55回)
戸張 誠之助 (54回)
軽部 信雄 (64回)
羽鳥 雙六 (55回)
岩崎 美由紀 (事務局)
五反地 清光 (67回)

       記録 安部 紘 (58回)