寺 澤 捷 年 会 長 挨 拶
【 淡交会 会報81号より転載 】          最終更新日: 2019/01/03   
気高い名称「淡交会」 淡交会会長 寺 澤 捷 年 ( 回)
 『両国高校百年誌』によると、
府立三中の同窓会は一九〇五年
に第二回卒業生が出るに及んで
結成された。その名称を「淡交
会」と名づけたのは2回生の春
日秀能であるという。
 「淡交」の由来は『荘子』の
「君子之交淡若水」に依る。そ
こで改めて『荘子』を見ると、
「淡交」の前段があって、これ
をも併せ考えると、その真の意
味が理解できると私は考えた。
     ☆
〔荘子〕孔子がある隠者に尋ね
た。「私はこれまで自分の思想
を永らく説いてきましたが、魯
から追い出され、(中略)私は
このように数々の患難にあい、
親しかった人達との交際はます
ます疎遠となり、弟子や友達も
いよいよ私から離れていってし
まう。これは一体どういうわけ
なのでしょう」
 隠者がこれに答えて言った。
「仮の国に林回という者が居ま
した。彼は災禍から逃れる時に、
千金の値打ちがある璧(宝玉)
をうち捨てて、赤子を背負って
逃げたのです。それを見てある
人が『物の価値からすれば、赤
子など大した値にも売れまいし、
荷やっかいということを考えて
も、赤子のほうがやっかいが多
い。それなのに千金もの璧をう
ち捨てて、赤子を背負って逃げ
るとは、どうしたわけですか』
と言うと、林回がそれに答えて
『璧は私とは利によって結ばれ
たもの、そして赤子は天の意志
によって私と結ばれたものです。
一体、利によって結ばれた間柄
は、ひとたび危急の災禍にみま
われると互いに見捨ててしまう
ものなのです。一方、天の意志
によって結ばれた間柄は、ひと
たび危急の災禍にあうと互いに
寄り合って離れないものなので
す』と。このように、互いに離
れまいとするのと互いに見捨て
あうのとでは、全くかけ離れて
いるのです」
    ☆
 この前段を受けて「且君子之
交淡若水、小人之交甘若醴、君
子淡以親、小人甘以絶、彼無故
以合者、則無故以離。孔子曰、
敬聞命矣」と続く。「さらに言
えば、君子の交際というものは、
水のように淡白ですが、小人の
交際は甘酒のように甘いもので
す。君子の交際は淡白であるが
故に親しみは深くなり、小人の
交際は甘くて利を離れぬ故に、
やがてとだえてしまいます。理
由無しに結ばれたものは理由無
しに離れ去るものです」これを
聞いた孔子は「ご教訓のほど謹
んで承りました」と言った。
     ☆
 この様に前段を踏まえて「淡
交」を再吟味すると、「淡交」
は単に淡白な交わりを述べてい
るのではない。君子とは世俗の
利に惑わされず、天の意を以て
行動規範としている人であり、
従ってその君子の交わりは自ず
と「淡若水」となり、しかもそ
こには深い信頼関係があると言
うのである。
     ☆
 淡交会。実に気高い名称であ
るとつくづく思う。会員一人一
人の力が結集され、来たるべき
創立一二〇周年、さらには一五
〇周年へと粛々と伝統が受け継
がれて行くことを切に願う次第
である。
 ※ 『荘子』の訳文は 市川安司、
遠藤哲夫、清水敬『荘子』(明治
書院、一九七二年刊)を 一部 改
変し 引用。
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