都立両国高等学校創立百十周年記念式典が、さる7月9日(土)、午前九時より、江戸川区総合文化センター大ホールにおいて挙行されました。 両国高等学校及び附属中学校の全生徒総勢960名、そして、全教職員が中心ですが、来賓として、都議会議員、東京都教育委員会、歴代校長、都立高等学校・中等学校の校長、淡交会、後援会など多数参列し、厳粛の中にも伝統に相応しい盛大な記念式典となりました。
第一部の記念式典に先立ち、両国高等学校・付属中学校の管弦楽部の皆さんによりベートーベン作曲、交響曲第5番「運命」より第4楽章が演奏されました。 記念式典のプログラムは、表-1のとおりですが、淡交会の郷会長から大平学校長に創立百十周年を記念して新調された校旗が贈呈されました。
『 本日は、東京都立両国高等学校創立百十周年記念式典にご臨席を賜り、誠にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。ここに、厳粛な中にも盛大な式典が挙行できましたことは、ひとえに皆様のご支援とご協力の賜物と、深く感謝申し上げる次第です。 本校は、明治34年4月、東京府第一中学校分校を東京府第三中学校と改め創立され、同年7月に東京府立第三中学校と、さらに昭和25年に東京都立両国高等学校と改称されました。 その後、東京都教育委員会の都立高校改革推進計画の一環として、本校は中高一貫六年生学校に改変されることが決定し、平成18年4月に 「両国高等学校附属中学校」 が開校し、併設型中高一貫教育校として 今日に至っております。 本日、本校は創立百十周年を迎えることができましたが、これを新たな出発点として、創立時の精神を忘れず、 「自律自習」の教育方針のもと、社会貢献のできる生徒、社会のリーダーとなる人材の育成をめざして、新生両国は地域の信頼に応える教育を実践して参ります。 どうか 今後ともご指導・ご支援を賜りますよう よろしくお願い申し上げます。』
■ 両国高等学校淡交会会長の 郷 通子氏による祝辞 ☆ ☆ 祝 辞 : 淡 交 会 郷 会 長 ☆ ☆ ≪ 祝辞: 淡交会 郷会長 ≫ 『 みなさま、おはようございます。 両国高等学校が創立百十周年を迎えました、誠に、おめでとうございます。 両国高校を応援してくださいますご来賓の方々、先生方、生徒のみなさん、卒業生のみなさま、保護者の方々、後援会の皆様、そして今日の記念式典に、ご参列くださいました方々に、ご一緒に今日の佳き記念の日を迎えられました。 同窓会を代表して、厚く御礼申し上げます。 50年以上も前に両国高校を巣立った私ですが、最近、思うことは両国高校で過ごした3年間という時間の重みです。 教育熱心な尊敬する先生方から受けた教育、先生方の思い出、クラブ活動での先輩や後輩との交流、そして何よりも共に学んだ仲間と過ごした日々が、その後の人生を決めたと思うのです。 そして定年がまじかになって始まった同期会、そこでの仲間たちとの再会は、一瞬にして18歳にタイムスリップです。 社会では異なる経験を積んできた私たちが共有する価値観は両国高校で共に学んだ「気概」にいきつきます。 40年後には、創立150周年がやってきます。 その頃、生徒のみなさんはきっと、私と同じように、母校の楽しい思い出を語り会うことになるでしょう。 私が生徒であった時、両国高校は男子校の典型といえる学校でした。 質実剛健、文武両道、バンカラといった気風が強く、3年生の時は50人のクラスに女子は4人だけでした。 女子生徒は「刺身のつま」と言ってはばからない先生もあり、席順に解答をする時、女子を飛ばすといった扱いでした。 女子飛ばしを阻止するために、もたもたせず、さっと答えることに努めたことを思い出します。 緊張感に溢れた学校生活でしたが、その屈辱をバネとして、女性はほとんどいない理学系分野で、教育と研究の生活を送ることができたと思っています。 両国高校で女子飛ばしをされまいと頑張ったことが、社会に出てから、大いに役だったのです。 今から70年以上も前にさかのぼりますが、両国高校の5回の卒業生である河合栄次郎は東京帝国大学(今の東京大学)の経済学部教授でした。 河合栄次郎が自分のゼミ学生に向かって語った言葉を紹介します。 「人生には右せんか左せんか(右回りでいくか左回りでいくか)迷うときがある。 そんなとき自分に不利だと思われる方の道を選び給え。 人間は無意識の内に、自分に都合のいい道ばかり行こうとするものだからね」という言葉です。 河合栄次郎は愛する教え子に対し、利害や打算といったものからいったん目をそらしてみることで、本当に歩むべき人間の道、つまり自己の信念に基づいて行動することを教え子に伝えたのです。 未曽有の東日本大震災と福島第1原子力発電所の事故による放射線被害に直面している今、人々の真の幸福や地球環境の維持を追求しようとする機運の高まりの中で、河合栄次郎という先輩を輩出した両国高校の伝統と教育の重みを益々大切に、同窓会も力を尽くしてまいります。 両国高校の益々の発展を祈って、ご挨拶とさせていただきます。』
『 みなさま、おはようございます。 両国高等学校が創立百十周年を迎えました、誠に、おめでとうございます。 両国高校を応援してくださいますご来賓の方々、先生方、生徒のみなさん、卒業生のみなさま、保護者の方々、後援会の皆様、そして今日の記念式典に、ご参列くださいました方々に、ご一緒に今日の佳き記念の日を迎えられました。 同窓会を代表して、厚く御礼申し上げます。 50年以上も前に両国高校を巣立った私ですが、最近、思うことは両国高校で過ごした3年間という時間の重みです。 教育熱心な尊敬する先生方から受けた教育、先生方の思い出、クラブ活動での先輩や後輩との交流、そして何よりも共に学んだ仲間と過ごした日々が、その後の人生を決めたと思うのです。
そして定年がまじかになって始まった同期会、そこでの仲間たちとの再会は、一瞬にして18歳にタイムスリップです。 社会では異なる経験を積んできた私たちが共有する価値観は両国高校で共に学んだ「気概」にいきつきます。 40年後には、創立150周年がやってきます。 その頃、生徒のみなさんはきっと、私と同じように、母校の楽しい思い出を語り会うことになるでしょう。 私が生徒であった時、両国高校は男子校の典型といえる学校でした。 質実剛健、文武両道、バンカラといった気風が強く、3年生の時は50人のクラスに女子は4人だけでした。 女子生徒は「刺身のつま」と言ってはばからない先生もあり、席順に解答をする時、女子を飛ばすといった扱いでした。 女子飛ばしを阻止するために、もたもたせず、さっと答えることに努めたことを思い出します。 緊張感に溢れた学校生活でしたが、その屈辱をバネとして、女性はほとんどいない理学系分野で、教育と研究の生活を送ることができたと思っています。 両国高校で女子飛ばしをされまいと頑張ったことが、社会に出てから、大いに役だったのです。 今から70年以上も前にさかのぼりますが、両国高校の5回の卒業生である河合栄次郎は東京帝国大学(今の東京大学)の経済学部教授でした。 河合栄次郎が自分のゼミ学生に向かって語った言葉を紹介します。 「人生には右せんか左せんか(右回りでいくか左回りでいくか)迷うときがある。 そんなとき自分に不利だと思われる方の道を選び給え。 人間は無意識の内に、自分に都合のいい道ばかり行こうとするものだからね」という言葉です。 河合栄次郎は愛する教え子に対し、利害や打算といったものからいったん目をそらしてみることで、本当に歩むべき人間の道、つまり自己の信念に基づいて行動することを教え子に伝えたのです。 未曽有の東日本大震災と福島第1原子力発電所の事故による放射線被害に直面している今、人々の真の幸福や地球環境の維持を追求しようとする機運の高まりの中で、河合栄次郎という先輩を輩出した両国高校の伝統と教育の重みを益々大切に、同窓会も力を尽くしてまいります。 両国高校の益々の発展を祈って、ご挨拶とさせていただきます。』
第一部記念式典に続き、記念講演が「想像するちから」と題し、京都大学霊長類研究所教授・所長 松沢 哲郎氏(66回生)により行われました。 松沢教授は、1978年から、「アイ・プロジェクト」と呼ばれるチンパンジーの知性の研究をはじめ、1986年からは、毎年アフリカに行き、野生チンバンジーの生態研究調査も行いました。 その後、3組の母子を対象にして、チンパンジーにおける知識や技術の世代間伝播の研究に取り組んでいます。 そうした研究を通じて、人間の心や行動の進化的起源を探り、「比較認知科学」と呼ばれる新しい研究領域を開拓いたしました。 講演では、親チンパンジーが石を使って果実の殻を割る姿を子が学び取る姿や、チンパンジーに文字や数字を教えると、例えば、パソコン画面上に1から9までの数字をランダムに並べ、瞬時に各数字を四角い枠で隠しても、人間ではできないスピードで記憶し、すばやく数字を順番に指で触っていくとか、色を表す漢字を教えたら、いろんな色を出しても漢字で答えるなど、スライドや動画でチンパンジーの生態を紹介し、場内では好奇心と驚きの叫び声が広がりました。 ( 詳しくは、「チンパンジー・アイ」をご覧ください。 http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ )
創立百十周年記念祝賀会が、記念式典終了後、午後2時半から場所を江東区の 「アンフェリシオン」に移し開かれました。 後援会の皆さんの協力とアレンジで進行され、 午前の記念式典に出席した来賓者が中心で、約170名が列席いたしました。
淡交会からは、郷会長、移川・大床副会長をはじめ、後援会、顧問、常任理事、そして、母校に講演やゲストティーチャで協力した卒業生などが出席。 祝賀会開催に先立ち淡交フィルハーモニが祝賀演奏し、会場全般の雰囲気が盛り上がりました。学校長挨拶、来賓挨拶に続き、いよいよ鏡開きで乾杯。 一つの大きな丸テーブルに10名が着席し、17テーブルで会場を占め、日本料理と樽酒でそれぞれ懇談の輪が広がりました。
日本舞踊家・吉村 昂扇(よしむら こうせん・本名、斉藤雅子)さん(63回生)の祝いの舞いも披露され、会場に華を添え、カメラのフラッシュを浴びていました。 終わりに全員が起立し校歌斉唱、そして今井後援会会長の三本締めで閉会となりました。